2026-01-23 有明(君島大空 合奏形態「夜会ツアー 劇場版 汀線のうた」於 東京ガーデンシアター)
つぶやき
オープニング、あ、って思った、京都で見たこと全部頭から追い出してた
それまで汀線が幾重にも映し出されていた紗幕に投影機の光が届かなくなって、一瞬の暗闇を割いて白いバックライトが押し出す影で、
光と影の演出ならストップメイキングセンスとかだってあるわけで、でもそういうことではなくて、後ろから、横から、メンバーの姿がひとりひとり、客席とステージを遮る布に折り重なるように映し出されて行く様は自分にとってはどうしてもClimax Togetherで、
京都ではそれでそれきりたぶん情緒がおかしくなってて
それをこの東京で思い出しながらやっぱり苦しいような辛いような半ば諦めたような気持ちで見ていた、影と一緒に音も声も聞こえていて、それがとても慎重に配置されたものに聞こえていて、左右に幕が開いていくのを見て、ああちゃんと開いてよかったと今日も思った
そうやって始まった
当日まで
ツアーが発表になったのがフジロックのステージで、ガーデンシアターと聞いて驚いたけれど、2025年1月の渋公ことLINE CUBE SHIBUYA公演のチケットがどうしても取れなくてこの世のすべてを呪ってやるくらいに鬱々とした日々を送ったことがあったので(別アーティストのライブの入場列で「君島くんのチケット取れたー?」「普通に取れたよー」「だよねーよかったー」と言いながら辺りを見回していた人たちの顔を忘れたい)、その倍プラスアルファのキャパは随分思い切ったなと思ったけれど行きたい人みんな来れるように且つ音の良い会場となるとこれが最適解だったのかなと。再三「キャパ6000」と言っていたけれど実際には8000なので見切れ席や最上階を塞げば6000見当なのだろうか、それでも十分すぎるほどに十分な大きさ、この規模だと前で見たいとかそんな気あるわけなくて、ただ京都のことがあってからは着席指定でなければどこでもいいと、もしそういう席に当たったら今度は他の席を買い直すつもりでいた。グッズは京都で思う存分買ったけど東京はどうかな、事前に発表されたお品書きでは京都と同じに見えるけれどでも会報は新聞だから日付違うやつ売るとかあるのかそれとも開けてびっくりなやつなのかなとそこだけが気がかりというかぶっちゃけどうなってんのよとちょっとやきもきしていた。
開場まで
行き方はすっかり忘れていたので乗換案内を駆使、なるべく人の少なそうなルートを選んだつもりがそれでも混んでた、有明アリーナでは中島健人のライブなんだよな。数寄屋橋から乗り込んだ時点でバスはほぼ満員、そこから先はどの停留所も結構な行列でなかなか乗り切れない、何も知らずにビッグサイトまで行きたいっぽい会社員風の人たちが「このバスこんなに混むのかー」とか言っているのが聞こえる。途中、豊洲PITが見えて(うっ)となったけれど会場外に行列ができていて誰だろうと思ったら核P-MODELだった。えぐいな。着いてみたらなんだか昨日のことのように色々思い出してまずは有明ガーデン内の丸善に赴く、施設の中にはBGMが低く低く流れている、NHK短歌テキストをめくると、あった。やっぱり。あの時もそうだったよな。ここでチェックすると載ってるんじゃないかって浅ましい心持ちの自分。でも、好きな人の曲が流れる中で自分が載ってる雑誌を見ることなんて、したいじゃない。確認して安心したあとはゆっくり物販へ、もう列もなくてすんなり中に入るとかなりの数の窓口があっていくつかは閉じられていた、見本に展示しているものは見た目は京都と同じ、売り切れになっているものもなく、念のため窓口で「会報は京都と同じですか?」と聞くと「内容は類似してますが完全に同じではないです」えええーそういうのをしれっと「天末会報vol.2」とかいって出してんじゃねえよおお係の人もサーセン!みたいな顔してんじゃねえかよおおおと思いつつ買う。果たして。

てめええええやりやがったなあああ第二号のまんまなのに2026年1月23日発行になってるうううううそういうのは!第二号第二刷にするんだ!きいいいいいい で、この差異部分がまたえぐい。これやっちゃうのまさに悪魔的所業ッ。ケケケケって笑ってる顔が目に浮かぶ。っていうか笑っててくれないと却って怖い(後日通販もあるようだがいったい何刷になるのか)。
開演まで
終演後
悶々
悶々と考える
波長が長いのかもしれない、音も言葉も、緩い角度で入ってきて奥まで来る、滑らかではなくてところどころ欠けたり極端に厚みがあったりして、でも早い、刺さると抜けない
1万時間の法則で言うなら10年で達成するには1年に1000時間、ざっくり1日3時間、河辺の駅前に立っていた頃から数えても本格的に活動を始めるまでには十分すぎるくらいの時間、もうその頃にはたぶん技術は確立されていてそこにクリエイティビティが載るだけという状況だったら
あとは自分との対話
いかに「出し惜しみ」していくか
悶々ちゃん
二面性とか
肉と魂
静寂と轟音
熱と冷たさ
柔と剛
静と動
どれを取っても凄まじく制御されていてその上凄まじくチャーム
矛盾ではなく
諦念でもなくて
どえらい覚悟と了承
バランスという軸はなくてたぶん自然に出てくる
全部
悶々パラダイス
あのLoverで君島さんは何かを手放したように思える、喪失ではなく昇華にも似たような
大事なもの大切なものを踏みにじられないようにするには誰にも見せずに隠して外に出さなければいい、そうすれば汚されることも誤解されることもない、が、そもそもLoverは合奏形態で録音されてる、自分だけで完結していない
初めて聞いたのは(Loverとして完成形ではなかったかも知れないが)有楽町I’M A SHOWの独奏だったような気がしている(違うかも知れない)、あまりにもぐさっと刺されたように感じて凄すぎてどこにも記すことができなかった、言葉にしたらだめな気がした、そういう、何の前触れも無しに直接喰らったやつで、それからしばらく懇々と歌われてきて、Loverとして紹介された時には完成していて、突如リリースされたときジャケットに使われた写真を見てああそうなのかと思った、壮絶にパーソナルな部分から発してそれはそうではないものとして現れた、表されたけれどもずっとフレッシュな情動を湛えていて
合奏形態で演奏されるLoverはやはり合奏形態のLoverで、そうでなければならないというよりはそうであるからこそそのようにしてそこにある、音や音の重なりや重なりに挟まれるものが全て不可分でとても満ち足りたものでそうやって演奏されるべくして録音されたものなんだろうと思えた、よかったと思った、そういう音で
それが汀線のうたでは何かが手放された、自分の中から発したものをそこに、発しただけには留めておかずに窓の外に送り出した、それを見送るための舞台装置として汀線のうたが用意されたのではないかと思うくらいに、鮮やかだった、見たことのない景色だった、そういった一部始終を人目から隠すために花吹雪が使われたのではないかとすら
そういう意味でとてもとても特別だった
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません