2024冬の大歩行(東京~大阪~神戸~広島~名古屋~東京)
そりゃあね、四日連続単独公演なんて考えたら足下に及びもしないのですけどもね。でも自分にとっては大歩行だったのよ。
二ヶ月だったよ"後日"。味園ユニバースが取り壊しになる前に一度やりたかったと言っていて、それ見たいなあと思って申し込んでチケットが取れて。神戸の友達が泊めてくれると言うので甘えることにして行きの新幹線を手配、帰りどーすっかなー京都とか行こうかなーなどと思いつつなぜか動かずにいたらすぐFTOのお知らせがあって日程見て唸って。ふと、広島の人に会いに行こうと思い立ち手配した、ら、後に鏡鏡鏡鏡の告知があって。
ええええええ。つまりこうなる。
- 12月4日(水)君島大空合奏形態 名古屋ボトムライン
- 12月5日(木)君島大空合奏形態 大阪味園ユニバース
- 12月6日(金)BUCK-TICK 名古屋ダイアモンドホール/鏡鏡鏡鏡 金山ブラジルコーヒー
- 12月7日(土)BUCK-TICK 大阪ビッグキャット/鏡鏡鏡鏡 鶴舞KDハポン
なんなんだ。なんなんだこれ。ハポンのチケットが取れたのでそこから新幹線をぱしぱし手配、インターネッツすごい。ありがとう回線事業者の人。ありがとう電力会社の人。荒天の予報もなくその点ではあまり心配がなかったのが本当に、なんというか、そういう、あんまり天候の心配しなくていいって、すごいなあって……これまでずっと遠征でも近場でも地震だの猛暑だの大雨大雪、そんなんばっかり起きてたから。この12月、社会情勢は猛烈に不穏だったけれども国内は妙に穏やかだった。


5日は早めに大阪に着いたのでまずは場所を確認するべく移動する、当たり前のように周りから聞こえてくる声が大阪弁のイントネーションでそれがとても柔らかく感じられた、前はどうだったっけ、思い出せない。なんば、千日前、って、昼間でもわいわいしていてわーって地面から何かが沸き立つみたいに何か聞こえる感じがする。ほてほて歩いているとだんだんユニバースみが出てきて、通りの向こうに味園ユニバースの建物が見えてきてうひゃーな気持ちに。やっぱ楽しいやこういうの。向かいのビルが工事してるのかと思ったら取り壊しのようだった、そういう流れ、か。一旦退散して大阪みやげなど買いつつ辺りをうろうろする。大阪弁だなあ。お天気が荒れなくてよかった。物販が始まる頃に会場に戻ると既に列。買い物を済ませた人たちがほくほく顔で出てくる、みんな君島ジャージを大事そうに胸に抱いて……そうか、あれ買うんだな、そうか。買えた人よかったねーの気持ち。公式名称なんだね君島ジャージ。

この日泊めてくれた神戸の友達の様子がおかしいと思ったら明日のFTO名古屋の整理番号二ケタだって、そりゃおかしくなる……ちびっと飲みつつ、どうしても話は、あれからの事、になるわけで、人によっていろいろなんだなあ……って。翌日早めに出て途中で別れる、じゃ、と言って。向かうは広島、何年ぶりだろう、もう思い出せないくらい。



広島駅で出迎えてくれた友達とハグハグハグ、CT3の横アリ以来だろうか、そうしたら8年ぶり?商社勤務で長年勤めあげてきたけれど家族の介護で早期退職してここ数年は文字通り全て家族の為に過ごしてきた人なのだった、またコンサート行けるようになるといいなと思っていたのだけれど。今年(2024年)に入ってから少し自由な時間が持てるようになったとのことで、今回思い切って会いに。話すのはやっぱり、そのこと、になってしまう、ああだった、こうだった、一緒に行ったあちこちのコンサートのこととか、コンサートがなくてもいつもずっとみていたから、ばかだねえ、ほんとにばかだねえ、って言いながら。12月の広島には修学旅行生たちがいて建物の外に集合して引率の先生が話すのをしゃがんで聞いている、風は冷たいけれど天気は良く外国人観光客もいて駅の辺りは賑やかだ、施設にいるご家族から電話がかかってくる度に携帯を手に外に出ていく友達の姿がそういう人たちの間に紛れていくのを見ながら、今ここにいることの意味とか考えないようにしようと思った、店内にいるのは老いも若きも女性ばかりだ、女の人たちは甘いものを食べたりおしゃれしたり愚痴をこぼしたり誰かの悪口や噂話をしながらここにいる、そういう光景を見ながらぼんやりしていた、友達が戻ってくるとまた話をした、わたしたちもまた思い出話をしたりいなくなった人に悪態をついたりして笑ったり泣いたりした、そうやって何かを確認していた1。


翌日はまた早々に発って名古屋に向かった、駅のロッカーはいっぱいでとにかく人でごった返していた、デパートのクロークに荷物を預けて鶴舞に向かい初めてのKDハポン。
その後名古屋駅で名古屋在住の友達と再会、2022年のPARADE初日で大雨に降られた新幹線が動かなくなって帰れなくなった人、昨日のオンリーでは整番一桁だったって、今頃こんなの来てもねえ、って。それでもずっと最前で頑張ったよという、凄いなあ……でも、旧曲でマイクを向けられたって話を聞いて、そんなことするのかって……、なんだか、向こうの思ってることとこっちの気持ちとそんなに違うのかって、愕然とした、涙が止まらなくなって、しばらくふたりで泣いてた。ここ最近の話とか一緒に行ったあれやこれやとか取り留めなく話して、やっぱり、ばかだよねえほんとにばかだよねえ、ってなった。



帰ってきてしばらくしてから、なんでこんなことしたんだろうって考えたけど、ひょっとしたら、そんなことあるわけないじゃない!って誰かが言ってくれるんじゃないかと思ってたのかもしれない、ここじゃないところ、自分がいるここじゃないどこか遠いところに行ったら、違うよって、何言ってんの?って誰かが言ってくれてこの変な空間から抜けられるんじゃないかって。でもそんなことはなかった、みんな泣いてた、それぞれに違うものを胸に抱えて泣いていた、それを確かめることをするこの移動だった、そうしなければわからなかったもの、ここから出て動くことでわかったこと、それを確かに自分の感覚と身体で。本当にもうここにはいないんだって、この現実でどんな距離を移動してもそれは変わらない、そのことを刻んで戻ってきた、この現実に。そうしなければわからなかった。あれから一年以上経って、この2024年という年に一日もいなかったのだということに気がついて、改めてなんておかしな変なことが起きてるんだと、そういう気持ちでいる。2024年はそういう年だった。
- この時いっぱいお土産だよーって色々もらってしまって宿について開けてみたらお土産というかプレゼントというか親戚からの仕送りみたいにお菓子やらおつまみやらぎっしり詰まっていたのでいくつか見繕って翌日君島さんと西田さんへの差し入れに突っ込んだのでした、結果、まったく脈絡のないセレクションになってしまってなんだこれと思われたかも知れないけれどあの場では言えませんでした、いくらなんでも事情が特殊すぎる。ってここで言ってもな。テヘ。 ↩︎
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