文藝を手にとって、この厚さの感じは久しぶりだなとちょっと懐かしくなった。
母がずっと月刊誌を買っていて、オール讀物・小説新潮は毎月、そこに小説現代や婦人公論、文藝春秋が入れ替わりで加わるという感じ。休みの日は横になってずーっと本を読んでいる。こちらとしては構ってほしいのだが声をかけても反応が薄く、本を読んでいる母の姿をなんとなく目の端に置きつつひとり遊びをする、そういうのが常で。何読んでんのかなとぺらっと捲ってみても字がぎっしりつまっているしたまに出てくる挿絵はなんだか深刻そうだったりエッチっぽかったり四コママンガのネタもオチもさっぱりわからず(砂川しげひさ「しのび姫」とか)だったんだけど、中学の頃には読んでいて笑いが止まらなくなった母が涙を拭いつつこれ面白いから読んでごらんひーひーと言いながら冊子を渡してくることもあったり、そのうち「官能」の文字に惹かれて誰もいないときにこっそり読むなんてこともするようになったり。
母が亡くなってうちから月刊誌は消え、本もたいして読まないし文学賞の話題にもあんまり興味がなかったんだけれど、今回思いがけずとんでもないきっかけで文藝を手にして、ああ……って。
BUCK-TICK櫻井敦司と芥川賞作家・遠野遥は実の親子、本日発売「文藝」で初対談が実現https://t.co/zo0OIMaNwF
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) October 7, 2020
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15時過ぎの休憩時間に友達からのLINEを見て「?」となって、Twitter見たらえらい騒ぎになっててもう何がなんだかわからず、まず考えたのは職場からうちまでの間に寄れる書店のルートで(通販は近くに書店がない人が利用するからな)、あとはとにかく無駄な残業を作るまいと集中して仕事(してたつもりだったけど端から見たらおかしかったかもな)、つつがなく定刻で退社して乗り込んだ電車の中で、こことここならこの時間でもあるはず、あそこはあったとしてももうないだろう、もしかしたらあっちにもあるかもだけどどうかな、などとシミュレーションして向かった一軒目で鎮座ましましていた文藝二冊をありがたくゲット。「同じもの二冊でよろしいですか」という店員さんに「はいー」と元気よく答え、探し回っている友達にまずは一報。ないだろうなーと思ったところも一応立ち寄ってないことを確認、普段無駄に本屋めぐりしてるのがこういう時に役に立つなあ……と妙な感慨に浸りつつ、もしかしたらのポイントにも行ってみるとやっぱり一冊あったのでこちらもありがたく頂戴して別の友達に連絡。果たして文藝三冊の重みを噛み締めつつ降り立った地元の駅の雨に滲んでいた光景がなんだか妙に印象的で、何やってんだ俺……と思わないでもなかったが、まあ、いいじゃない。
誌面はいい対談だなと思った、企画構成した人すごい。写真もいい。リード文にある「実の親子として」という記述がなければ対話の中では「親」も「子」も一切出てこない、けれどちょいちょい「はて?」というところがあって、それが、もう、なんだかすごい。恐ろしい。あとは外野はぴーすか言うだけで。
そう、外野だと思ってるんだけどな、ファンって。こないだの高崎芸術劇場のon screenにあっちゃんのお兄さんがお花出してて「B-T Familyの健康を祈ります」と書かれてあって、あんちゃんの優しさよ……と思ってたんだけど、ファンもスタッフもファミリー!と解釈してるツイートがあってなかなか厚かましいなと思ってたら結構あってなそういうの。なんだろな、主語が大きかったりファンをおさかな呼ばわりしたりするのはノーサンキューと思ってるくちなので、なんだかなあと。うちらもう十分大事に思われてると思うんだけどな。優しさと距離感って……むずかしいのかな。いや、ファンに何かを求めてはいけないのだ、節度ある行動も対象と適切な距離を保つことも……いやいやいやいや。
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