感情のレーン

感情とか心とか精神とかいうやつ 層になった基盤の上に、愉快なものに反応して笑うレーンとか危険なものを察知して反応するレーンとか酷いものに触れて怒るレーンとかがあって、それぞれはちゃんと機能しているんだけど基盤の方が全層割れて壊れて割れてて刺さって各レーンに影響が出てるんだな、ずっと暴れっぱなしではなくて鎮まったかと思うとまた噴き上がってくる この層は長年積み上げてきたやつ、前の時もこんなふうになってたいつの間にか修復されてた よな多分 どのくらいの時間がかかるかは

時々声が出て けものが仲間を呼ぶときのやつみたいで さっぱりかわいくない 弱そうじゃない 鏡を見てもちっとも弱そうに見えない 前に、そんなふうに見えないと言われたことがあるけれど、そんなふうに見えたら嫌だなあと思った、ちょうどその頃、不幸でかわいそうな境遇の代表みたいな人がテレビに出ていてその人はとてもそんなふうに見えて、こんなふうに見えるのはやっぱりいやだなと思った、今もそう、かわいくなくていいので

目をつぶったときに顔みたいなものが見えて目を開けたら消えた 消えたのでよかった 夜は眠るだけ、今朝方一度起きたけれどまたすぐ寝た、やっぱり涙が出るとあとで眠くなってうとうとしている 仕事中にも

いつまでもこんなこと長くは続かない いい加減明日のこと考えた方がいい 明日は休みだよ

十三夜だったな

菅野覚明の「神道の逆襲」だったと思うんだけど、神様というのは神聖なもので有難くて近寄りがたい存在で、神様に選ばれて神様を家に迎えるということは大変な特別なことなんだけど、家に来ていただくのはいいはいいんだけどいつまでもいられるのはそれはそれで人間側としては生活というものもあるのだしきついものがあるから、それはもう猛烈におもてなししてうんと満足してもらってその上で早々に帰っていただくようにするのがいいのだみたいな論考があって、神様という特別な存在について人間側の視点で考えるのは面白いなあと

人を神格化しすぎると、どうもね、そんなふうに、こっちにはいられなくなるようになってしまうんじゃないかって、ずっとそんなふうに思ってて、月の光を浴びすぎるとおかしくなるんだみたいなことも、こっちとあっちのつなぎ目というか境目というか

月とか神様とかはそんな感じで

何言ってんだかなあ

何言ってんだかついでに

占いと信仰とスピリチュアルって全然別物だと思ってる、たいてい一緒くたにされてるのがなんだかなあと思う、占いはデータに基づいた分析・解析、信仰は説得力と納得、スピリチュアルは現実から目をそらしたい人の受け皿、くらいに思っている

占いは基になるデータの質と読み手のスキルに強く依存するんだろうと思う。臨床検査技師の画像判断みたいな。うちの親戚に手相見の人がいて、職業でやっているわけではなく一族郎党ここぞという節目の時には必ずその人のところに行って手を観てもらうというそういう人だったんだが、母が再婚する前に観てもらった時、ただ一言「保険には入れとけ」とだけ言ったというので、その話を聞いたのは再婚から七年後の養父の葬儀の後だった。占いと称してあれやこれやで金品を巻き上げようとするのは単に人の弱みに付け込んだ行為でしかなくて、その辺り一般的にはあまり区別して認識されてはいないような気がする。

いずれにせよ、未来は決まっているわけでもないし変えられるようなものでもなくて行動の結果の連続なのだろうから、先々いいことを望むなら今いいことをすればいいんじゃないかくらいの気持ちなんだけど、何がいいことなのかは人によって違うのだから色々あるんだよなあと

過去は変わらないけど認識は改めることができるしそれによって行動は変わるかも知れない だからと言ってそれが結果というわけではなくてそこからまた、そこからまた、というふうに

時間が続く限りはそうやってつながって続いていくんじゃないか

何言ってんだ なんでこんなこと言ってんだっけな おかしいな

日々